メルマガはこちらから

PAGE
TOP

フランス パリ・サクレー大学に学ぶ──研究者が安心して一歩踏み出せる「大学発ディープテック創出」の条件

連載
ASCII STARTUP TechDay 2025

 2025年6月10日~14日、ヨーロッパ最大のスタートアップ、イノベーションカンファレンス「Viva Technology 2025」がパリで開催された。筆者はこの機会に、イベント前日にパリ郊外に位置する「パリ・サクレー大学」へと足を運んだ。この地域は、フランスが国家戦略として構築を進める“ディープテック・エコシステム”の中核であり、数多くの大学、研究機関、インキュベーター、技術移転機関が連携しながら、研究成果の事業化を支援している。特に目を引いたのは、研究者の起業を支援するIncubAlliance(インキュブアライアンス)と、技術の社会実装を推進するSATT Paris-Saclay(サット・パリサクレー)の存在だ。日本でも大学発ディープテックスタートアップの創出が求められているが、その取り組みは始まったばかり。フランスが2000年代初頭から進めてきた一連の政策と、それを支える仕組みには、多くの示唆があった。

国が設計した「信頼できる支援者」──IncubAllianceの哲学

「私たちは利益を取らないし、株式も取らない。ただ、研究者が安心して一歩を踏み出せるように、伴走するだけです」

 そう語るのは、パリ・サクレー・クラスターにおけるディープテック・スタートアップ支援の要、IncubAllianceのディレクター、アリエル・サンテ氏だ。同機関は2000年にフランス政府の政策として誕生した19のアカデミック系インキュベーターの1つで、研究成果の事業化に特化した非営利団体である。政府(高等教育・研究省)やEU、地方自治体などの公的資金を中心に運営されており、スタートアップからは株式を取得しない。これにより、「利益目的ではない」という透明性と中立性を保ちつつ、研究者にとって“信頼できる伴走者”の立場を維持している。

 IncubAllianceでは、支援対象となる技術の成熟度を評価するために「TRL(Technology Readiness Level)」という尺度を活用している。これはNASAが開発した指標で、「アイデア段階(TRL1)」から「実用・量産段階(TRL9)」まで、技術の完成度を9段階で評価するもの。特にディープテック分野では、この“成熟度”に応じた支援が欠かせない。

 最近では、IncubAlliance はグリーンテックや医療系領域のスタートアップに特化した加速プログラムも新たに立ち上げており、対象となるのは、スケールアップを目指すスタートアップで、すでに実環境での検証やプロトタイプが提供可能な段階(TRL5~6)にあることが条件となっている。

(引用:Public Domain https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Technology_readiness_level

SATT Paris-Saclayの技術移転戦略と文化的障壁

 IncubAllianceが「起業を支える信頼の担い手」であるならば、SATT Paris-Saclay(サット・パリ・サクレー)は、もっと技術寄り、マクロ視点から技術の成熟と出口戦略を重視するプレイヤーだ。SATT(Société d’Accélération du Transfert de Technologies)は、研究成果の商業化に向けた技術の移転を担う存在だ。技術シーズに対し、実用化に向けた評価や市場分析、知財の取得支援などを行い、将来的なスタートアップ設立やライセンスアウトに向けて戦略的に育成する。

 取材したセバスチャン・マニャヴァル氏によれば、SATTは研究機関とは異なり、「自らが企業であるという自覚を持ち、回収可能性を見極めて投資する」と語る。投資先のシーズが将来利益を生みそうな見込みがある場合に、初期投資を行い、成果の一部を研究機関と分け合う仕組みを採る。日本の大学では、こうした「技術移転前の技術成熟」にあたる部分が曖昧なまま放置されがちだ。結果として、未成熟な技術が起業という形だけを先行してしまい、事業化に至らないケースも少なくない。

 またマニャヴァル氏は、「研究者は、論文に興味があるのであって、スタートアップを自ら起こすことに興味はない」とも語る。研究者はあくまで“技術アドバイザー”の立場であり、経営や事業推進のための人材は外部からマッチングする。これは、起業家と研究者の役割を分けることが、ディープテックを商業化に導く上での重要な考え方であることを示している。

フランスと日本、研究者起業の“構造的違い”とは

「研究者は研究者のままで良い。CEOを見つけることから起業は始まる」

 マニャヴァル氏はこう強調する。つまり、研究者が無理に経営者になろうとする必要はなく、むしろ経営の専門家、起業家人材とのマッチングこそが重要だという前提だ。研究者自らが、大学発のディープテックスタートアップの経営者になる事例は、おおよそ1/4未満だという。マニャヴァル氏は、「起業の支援とは、技術を磨くことではなく、出口にいる“人”を探すところから始まる」と語った。実際、フランスではこうした考えに基づき、大学発スタートアップに対して経営層(CEO, CTOなど)を外部からマッチングする制度や支援策が整っている。国家主導の資金(BPI Franceなど)もそれを後押ししており、研究者はあくまで“研究開発の担い手”という立場で起業に参画する。

 一方、日本においては、「研究者自身が起業家として立ち上がる」ことが重視されがちだ。近年こそ、大学発ディープテックの支援が増え、経営人材とのマッチング支援などの仕組みが立ち上がってきているが、現場ではまだ試行錯誤が続いている。

 2024年以降、経済産業省や文部科学省主導のもとで、大学研究者と外部のスタートアップ人材(特にCEO・COO候補)を結びつける支援プログラムが複数生まれているが、いずれも始まったばかりで、成熟度や人材プールはこれからだ。 研究者がビジネススキルを身につけるよりも、相互にリスペクトできる起業家との出会いを制度として設計する──この「構造そのものの設計」が、フランスと日本の最も大きな違いなのかもしれない。

VivaTech 2025──支援プレイヤーが主役に変わる時代

 今年のViva Technology 2025では、「スタートアップそのもの」よりも、それを支えるエコシステム側のプレイヤーが目立った印象があった。公的機関、大学、インキュベーター、アクセラレーター──いわば“裏方”の展示が増えていたのだ。 これは筆者の主観に過ぎないかもしれないが、昨年に比べて「環境系のスタートアップ」などわかりやすいテーマのブースが減少し、代わりに“支援の仕組み”そのものをアピールする機関が増加していたように思う。

 背景には、VCの慎重姿勢がある。投資資金の流れが鈍化する中で、出展予算を割けるのは、スタートアップよりも、支援機関側という構造がある。これは日本の展示会、たとえばSusHi Tech Tokyo 2025の状況にも似ている。行政との良好な関係を活かした大手不動産系企業などが予算をかけて大型ブースを出す一方で、スタートアップ側の存在感が薄れてしまう構図だ。

 実際、VivaTechでも、国立研究機関CNRSや大学主導の量子コンピュータ系スタートアップが出展していたが、それらがどのように商業化されていくのか、VCとしてどこまで関与・支援すべきかは、まだ明確な答えが見えにくい印象だった。だからこそ、出展の主役が“ツルハシを売る側”へと移行していくのは、ある意味で自然な流れとも言える。だが、それは同時に「スタートアップの主役性」が揺らいでいることの裏返しでもある。

日本の大学発スタートアップに必要な「3つの視点」

 今回の取材を通して、日本で大学発ディープテックを本当に根付かせていくには、いくつか“仕組みのデザイン”そのものを見直す必要があると感じた。

 ひとつ目は、「信頼される中立支援機関」の存在だ。日本でも産学連携や大学発スタートアップ支援の制度は増えてきたけれど、たとえば利益相反の問題や、誰がどこまで責任を持つのか、といったところがまだ曖昧なままになっているケースも少なくない。IncubAllianceのように、「株は取らない」「営利目的ではない」と最初から明言している存在があるというのは、研究者にとっては想像以上に心強い。なによりも、“起業しても、研究者としての立場は守られる”という安心感につながる。

 2つ目は、「TRLの考え方」だ。今回、SATTの話を聞いていて、あらためてディープテックは「技術ができた=すぐに起業」という単純な話ではないことを実感した。TRLという技術の成熟度を示す9段階の尺度を用いながら、どの段階でどれだけお金をかけて、どこまで進んだら次のアクションを取るのか。それをちゃんと支援者側も理解したうえで、長期的に並走する仕組みが日本にも必要といえる。

 そして3つ目は、「経営人材とのマッチング」だ。フランスでは“研究者がCEOになる必要はない”という考え方がかなり一般的になっていて、そもそも「まずはCEOを探すところから起業が始まる」という話もあった。日本でもいよいよその機運が高まりつつある。だが、制度や資金だけでなく、起業に対する“心理的安全性”をいかに担保できるか。そのヒントは、パリ・サクレーの現場にあると思う。

 また取材を通じて感じたのは、スタートアップ支援に携わる人材の専門性の高さだ。フランスでは、大学や研究機関に所属していたアカデミア出身者が、その専門的な知見を活かして技術移転やスタートアップ支援の実務に関与しているケースが多い。つまり「研究者と起業家の中間的存在(リサーチャー)」が制度上、しっかりと存在している。一方で日本では、このようなポジションがそもそも不足しているか、いたとしても十分な裁量や知識を持たされていない印象がある。ディープテックという専門性の高い領域では、この“中間支援人材”の育成と配置が今後大きな鍵になるだろう。

 2025年11月17日開催のディープテック・スタートアップエコシステムのカンファレンス「ASCII STARTUP TechDay 2025」にて、15時半開始セッション「研究からビジネスへつなぐ欧州の最新手法〜日本の大学発エコシステムに足りないものは?~」にて、パリ・サクレー大学の手法について、今回の取材にあたったASCII STARTUP副編集長のガチ鈴木がお話いたします。無料参加チケットは以下からお申し込みください。

 「ASCII STARTUP TechDay 2025」開催概要

▼ 参加方法:事前登録制(下記よりお申し込みください)▼
チケット申し込みサイト(peatix)

 【開催日時】2025年11月17日(月) 13:00~18:00
 【会場】浅草橋ヒューリックホール&カンファレンス
 【主催】ASCII STARTUP(株式会社角川アスキー総合研究所)
 【入場方法】事前登録制(入場無料)
       18:00~ アフターパーティーチケット(有料)
 【協賛】MASP(Michinoku Academia Startup Platform)
 【協力】インクルージョン・ジャパン株式会社、関西スタートアップアカデミア・コアリション(KSAC)、一般社団法人スタートアップエコシステム協会、東京大学協創プラットフォーム開発株式会社(東大IPC)、東北大学、フランス貿易投資庁-ビジネスフランス(Business France)、Beyond Next Ventures株式会社、CIC、HSFC<エイチフォース>北海道未来創造スタートアップ育成相互支援ネットワーク、Incubate Fund、Monozukuri Ventures、Peatix Japan株式会社、Platform for All Regions of Kyushu & Okinawa for Startup-ecosystem(PARKS)、QBキャピタル合同会社 TECH HUB YOKOHAMA(横浜市)、Untrod Capital Japan株式会社
 【公式サイト】https://jid-ascii.com/techday/

 ※企業のブース出展は公式サイトからお申込みいただけます。(先着30社)

合わせて読みたい編集者オススメ記事

バックナンバー