20年越しの夢を実らせるために!50歳を目前に国家資格を取得して鍼灸と薬膳のサロンを開業

文●杉山幸恵

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 愛知県名古屋市ではり師きゅう師として、鍼灸と薬膳のアトリエサロン「MIL.」を運営する朝岡せんさん。医療の道へと進みたい…そんな思いを胸に抱きながらも、諦めるしかなかった20代。しかしながら、その時々で自分のできること、やりたいこと、やるべきことを模索。野菜ソムリエや薬膳アドバイザーなどの資格を取得し、講師として精力的に活動することに。そして、人生のさまざまなステージを経た40代後半になって、本当にやりたかったことに再び向き合うべく、鍼灸師の国家資格に挑む決意をする。

1974年生まれの朝岡せんさんは、アメリカ・NYで出生してすぐに帰国。1998年に結婚した夫とはその後、離婚。3人の子どもはシングルマザーとして育てあげた

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夢を胸にしまい込み結婚・出産。そして「野菜と薬膳」をテーマにした講師として活躍

 朝岡さんにとって「医療や健康に関する仕事がしたい」という思いは、ずっと根底にあり続けたという。最初のきっかけとなったのは、父親が舌癌を患ったことだった。舌を半分切除し、さらに手術時の輸血によってC型肝炎に感染。長期にわたり治療を続ける姿を間近で見ていたことが大きな要因となった。

 「高校時代には新聞で見つけた『言語聴覚士が足りない』という記事を切り抜いて、大切に持っていました。また性教育で見た出産の様子に深く感動したことから、看護師や助産師に憧れる気持ちも芽生え始めて。

 ただ、私が通っていた学校は上位8割がそのまま系列大学へ進学できるエスカレーター式の学校環境だったこともあり、高校卒業後すぐに看護専門学校へ進むという選択に自信が持てず…。結局、一度短大に進学してから考えようと決断しました」

 短大2年となり、就職を決めるタイミングで朝岡さんは「看護師を目指したい」と母親に相談するが、その願いはあえなく一蹴。自力で学費を用意できないことから泣く泣く看護専門学校への進学を諦め、外来受付・医療事務として総合病院に入職する。

 「夜遅くまで激務が続くなどとても忙しい職場だったので、体調を崩してしまい2年ほどで退職。貯まったお金で気分転換をしようと、イギリスで1年間語学留学をすることに。留学中に『やはり本当にやりたいことをやろう』と決意を新たにして帰国。帰国後は言語聴覚士の専門学校を目指して再び動き出しました。

 学費も自分で貯めて入学試験に合格、いよいよ学校へ通えるんだと意気揚々としていた矢先に妊娠がわかり…。一度は迷ったのですが『学校にはまたいつか行けるかもしれない』と納得し、結婚をして子育てに専念することを選んだのです」

 1998年に結婚・出産をした朝岡さんは、子育てを通して、食材選びや食卓に出す料理が健康に大きな影響を与えることを実感。野菜ソムリエや薬膳アドバイザーなどの資格を取得し、「野菜と薬膳」というテーマで講師業やケータリング業をスタートする。

 「2005年ごろでしたでしょうか、当時は野菜ソムリエ協会が資格取得者にどんどん活躍してほしいと後押ししていた時期でもあり。親しくなった名古屋支社のスタッフさんから『資格を取っただけではもったいないから、教室などをやってみませんか?』とお声がけをいただいたんです。

 その流れで協会主催の野菜教室を任せてもらったり、カルチャースクールの講師として推薦いただいたり、さらにはテレビやラジオ、雑誌などメディアにも出演する機会をいただいて。講師としての仕事が自然と増えていきました」

名古屋調理師専門学校で実施した「野菜を知る 果物を知る」がテーマの特別講義

 そんなある日、朝岡さんの講師業を知ったママ友から「地元でカフェ営業できる人を探している」という話が舞い込む。こうして月に一度、薬膳をテーマにしたランチ会を担当することになると、評判が口コミで広がり、ケータリングの依頼も入るようになっていった。

 こうした活動を続ける中で、次第に「自分の拠点となる〝場〟をもちたい」という思いが募っていった朝岡さん。そのタイミングで彼女の母親が管理している、先祖から受け継いできたビルの一室に空きが出て、これ幸いとばかりにアトリエサロン「MIL.」として使用することにした。

野菜ソムリエ、薬膳アドバイザーとしての資格を活かした体に優しく、彩り豊かなお弁当が好評を博した

 活動する〝場〟ができたことで、いっそう積極的にイベントや教室を開催するように。さらに料理だけでなくお茶という形でも薬膳を届けたいと考え、オーダーメイド薬膳茶のサービスをスタート。想像以上に反響が大きかったため、〝今後のこと〟も視野に入れて、自分が不在でも動かせる仕組みづくりが必要と考え、オンラインストアも立ち上げる。

 この〝今後のこと〟というのが、鍼灸師の専門学校に通う計画のことだった。

 「鍼灸治療と出会ったきっかけは、姉の友人が営む老舗マッサージ店に鍼灸部門ができたことでした。母がその先生を紹介されて通い始め、『本当に上手!』と絶賛。さらに娘も顔面神経痛でその先生に救われたことから、私自身もその腕前に信頼を寄せるようになりました」

 そんな中、朝岡さん自身も多忙による疲労とストレスが重なり、半年間も蕁麻疹に悩まされていた。薬膳茶だけでは改善できなかったこともあり、「試しに通ってみよう」と鍼灸の治療を受けることを思い立つ。

 「3回ほど通ったところで、あれだけ長引いていた蕁麻疹がすっきりと治ったんです。本当に感激でした。施術後は、手先や足先にまでなにかが駆け巡るような、不思議な感覚に包まれました。言葉で表現するのが難しいのですが、これが〝気〟なのかなと。

 薬膳と鍼灸は同じ東洋医学に根ざした考え方のため、治療中に先生やそのマッサージ店の経営者と話が弾みに弾んで。次第に『私も鍼治療をやってみたい!』という思いがふつふつと湧き上がってきたのです」

 学校に通って鍼灸師の国家資格を取得したい。そう気持ちが盛り上がっていく反面、仕事のこともあり、「行動に移していいものか」と思い悩んだという。そこでそのマッサージ店の経営者であり、鍼灸師の資格を保持する姉の友人に相談をしてみることに。

 「彼女からは『資格、取るといいよ。3年なんてあっという間よ!』と背中を押していただきました。さらに『まず順番が大事。お母さまに頭を下げて、会社のこともきちんとお願いするのよ』というアドバイスも。

 実はちょうどそのころ、不動産管理の会社は母が代表を務めていたのですが、私に代替わりをしようというタイミングだったのです。だから学校に通う間は仕事のフォローをお願いしなければなりません。

 ただ、母にはかつて看護専門学校のことで大反対された経験があり、話を切り出すのには気後れもありました。それでも思い切って母に相談すると、『反対することは何もない。がんばってみたら?』と。母の後押しもあり、安心して学校に通う決断ができました」

20代で諦めた夢を再び形に!3年間の猛勉強を経てはり師きゅう師の資格を取得

 日本で鍼灸師として働くには、厚生労働大臣または文部科学大臣が認定する専門学校や大学などの養成施設に3年以上通い、卒業することが必須。その後に年1度行われる国家試験に合格し、はり師、きゅう師の免許を取得する必要がある。試験は共通問題に加えて各専門分野の問題があり、それぞれ規定の合格点に達することが求められ、なかにはどちらか一方のみ合格する場合もあるという。

 2020年4月、実に数十年ぶりに学校に通うことになった朝岡さんだが、思いもよらない苦労の連続だった。ちょうどコロナ禍に重なり、コミュニケーションを取るのが難しかったのも大きな要因だ。

 「もちろん『自分はできる!』と覚悟して専門学校に入学したのですが、想像の1000倍は大変でした…。一緒に学んでいる生徒はうちの子どもと同じ歳か、さらに歳が下で。つい『一緒にがんばろう!』などと余計なおせっかいをして拒否されたり、若い子の言葉にとても傷ついたりしたことも…。

 でも、そんな私に親身になってくれる子もいて。国家試験の前日まで勉強を教えてもらい、時には助け合い、励まし合えたことは、今も深く心に残っています。まさに青春だなと(笑)。みんなと一緒に過ごした時間はとても楽しく、今となっては宝物です。

 そのころにできた20代の友人とは、月に一度集まって遊んだり、旅行に出かけたり、時に恋バナを聞いたり、仕事の悩みを相談したり。今でも大切な仲間です」

 自身の年齢よりひと回りもふた回りも若い人たちと肩を並べ、勉学に励む日々。そんななかで、朝岡さんの身に衝撃的な出来事が降りかかる。

 「2年生にあがるころ、母が交通事故に遭い、植物状態となってしまったのです。今もなお、その状態が続いています。母とは一緒に暮らしていたため、突然の事故は大きなショックでした。病院や施設の手続きに加えて、家業である会社の業務もあり、心の置き所がなくなるような苦しい日々が続き…もちろん、学校の先生にも何度も相談しました。

 それでも、〝学校を辞める〟という選択肢は一度も浮かびませんでした。とにかく『絶対に卒業するんだ』と心に決め、目の前の勉強に集中し続けたんです。

 この出来事は、直接仕事に関わることではないかもしれませんが、『自分を生きる』という姿勢に大きな影響を与えたものです」

 決意を新たにした朝岡さんは、自身が鍼灸師を目指すきっかけとなった先生が属する漢方鍼医会の勉強会に通ったほか、その師匠にあたる漢方鍼医会の理事のもとへも足を運んだ。卒業後すぐに独り立ちできるよう、学びを深めていったのだ。「師匠の先生と一緒に診察に入らせていただく経験は大変貴重な時間となりました」と当時を振り返りつつ、こう言葉をつなげた。

 「でも、試験や勉強に加えて事故のこと、授業後は会社に戻って夕方から仕事、鍼灸院での研修、高齢の愛犬の介護なども重なり、心身ともにヘトヘトで…。今、思い出しても、とても辛い日々でもありました」

 プライベートのこと、仕事のことに向き合いながら、真摯に学びと実践を重ねていった朝岡さんは、2023年にはり師・きゅう師の国家試験を一発で取得することができた。

 「試験勉強はまさに必死そのものでした。覚えたことがすぐ抜けてしまい、『まさか脳の病気なのでは?』と自分を疑うほど(笑)。それでも友人や学校の先生、先輩からたくさんアドバイスや励ましをもらい、追い込みに追い込みました。そして試験当日はもう神頼み! 合格の文字を見た時には、心からホッとし、本当にがんばってきてよかったとしみじみ思えました」

 国家資格を取得し、卒業をした朝岡さんだが、まずは家業である会社の業務をこなしながら、鍼灸や薬膳にまつわるイベントなどを実施。その傍らで少しずつ施術の予約を取るべく、準備を進めていく。自分がこれまで培ってきた経歴と新たに身につけたはり師きゅう師としてのスキルを活かしながら、どんな形が自分らしく、かつ人の役に立てるかをじっくりと模索した。

 こうしてたどり着いたのが、鍼灸や薬膳を通して、自分の体質や体調、そして季節と環境を知り、身体の不調を改善、健康を維持していく〝灸膳〟という考え方。そして、アトリエサロン「MIL.」を拠点とし、〝薬膳茶をセットにしたトータルケアを提供する鍼灸施術〟〝オンラインや百貨店での薬膳茶販売〟〝薬膳ケアセラピスト講座〟〝月よみお灸の会〟などを実施している。

 「今、特に力を入れているのは薬膳ケアセラピスト講座です。『薬膳を学んでみたい』というリクエストに応えたものです。私自身が治療家になり改めて見えたこともあるので、現場で役立つような薬膳を伝えていきたいと思っています。

 また施術や講座などを通して、私が何よりも大切にしているのは、健康であることの幸せを感じていただくこと。それは単なる見た目の健康だけでなく、『自分がどうあれば幸せか』という、心と体が本当に喜ぶ状態を知ることです。その人らしい人生を育むためにお役に立てたら、これ以上にうれしいことはありません」

「MIL.」で施術する灸膳は、痛みのない鍼、温かさが心地いい灸が特徴的

 これからも鍼灸師としてさらに腕を磨いて治療の幅を広げるとともに、鍼灸と薬膳、東洋医学の魅力をもっと伝えていきたいという朝岡さん。「副作用が少なく、優しく体を整える手段、そしてツールとして、誰もが気軽に選べる選択肢に入れてほしいです」と語る。そんな彼女にとって、これまでのライフシフトを振り返ってもらった。

 「傷ついたこと、悲しいこともたくさんありましたが、いつも誰かに支えられてきたからこそ今があります。決して一人ではありませんし、一人ではとてもここまで来られませんでした。そして挑戦できる環境があったことも、幸せなことなのだと実感しています。

 コンフォートゾーンから一歩踏み出すのは勇気がいりますが、その先には想像以上に広い世界が広がっています。その一歩が新しい世界を見せてくれた、そのこと自体にただただ感謝するばかりです」

 怖くても、不安でも壁をぶち破ってみたら、とてつもなく広く、そして幸せな世界が広がっていた。20代で諦めた医療という道を40代後半にして再び志し、そして今しっかりとその足で力強く歩き出した朝岡さん。最後にこれからライフシフトを目指す女性にメッセージをもらった。

「『本当はどうしたいのか?』という、自分の想いを感じていられたらいいのかなと思います。自分だけの、自分の人生ですから。〝生きる〟ことを信じて一歩ずつ、です」

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